五所川原駅から津鉄(津軽鉄道)に乗って20分ほど、目的地である金木駅に着きました。

金木駅の端っこから
津軽平野は広大な盆地で、津鉄の車窓からは大変素晴らしい風景が見られます。
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しつこいようですが、今日は太宰治の生家『斜陽館』へ行きます。
太宰治の小説が昔から大好きで、『人間失格』や『斜陽』など、主だった作品は大体読みました。
(中でも好きなのは『女生徒』と『ヴィヨンの妻』です。女性の視線や感情を描くのが、本当に巧みな作家だと思います)


斜陽館へも一度は絶対行ってみたいと思っていたのですが、青森があまりにも遠すぎ、時間も取れなかったかったため、なかなか機会を得られずにいました。
しかし、なんの因果かこうして青森・五所川原まで来てしまい、結果的に満願叶っての『斜陽館』訪問です。

いい地図です
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金木町には大きな通りがいくつかあり、それぞれの通りには歴史や人物に由来する名前がつけられています。
私は『メロス坂通り』を歩いていきました。

日本一安い串焼きの店
看板では「日本一安い」とブチ上げておきながら、壁の看板では「それなりに安く、それなりにおいしい店です」と謙遜しているのが面白いです。
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メロス坂通りを通って斜陽館へ行く途中、『太宰治疎開の家(津島家新座敷)』を見つけました。
太平洋戦争末期、太宰一家は空襲から逃れるために、居を構えていた東京・三鷹から妻の実家である山梨・甲府へ疎開するのですが、疎開先の甲府が爆撃され、妻の実家も全焼してしまいます。
その後太宰は妻子を連れて津軽の実家へたどり着き、そこで終戦前後・1年3ヶ月ほどの期間を過ごします。
その時太宰が寝起きしていたのが、この『疎開の家』です。
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津島家が家を手放したあと、長らく陽の目を見ることがありませんでしたが、平成18年から一般公開が始まりました。

太宰治が執筆に使った座敷
この火鉢の横で、この座布団に座り、この座卓で原稿を書いたそうです。
実際に座ってみることもできます。
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和風の部屋もあれば、洋室もあります
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美しい張り出し廊下の和室です。
『疎開の家』の建物は、津島家から売りに出された後で現在の位置に移築されています。
移築される前は、広い庭に面していたのでしょうか。
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映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』で、主人公を演じた浅野忠信さんのサインと、その妻を演じた松たか子さんの写真が飾られています。
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太宰治の実家である津島家は、津軽地方でも有数の大地主(地方財閥)で、太宰の父・源右衛門は「金木の殿様」と呼ばれていました。
財閥としては、行商人であった太宰の祖父が『金木銀行』を設立したことが始まりです。
地元の農民・商人に金を貸し、返済のカタに土地を取り上げているうちに、所有する農地はドンドン増えていきました。
最も多い時では250町歩(約2,475,000㎡、東京ドーム53個分)の土地を所有、300人の小作人を抱えていたそうです。

もちろん、源右衛門は悪辣な金貸しだったわけではなく、殖やした資産でもって金木の町のインフラ整備を行ったりもしています。
金木の町の電気・電話・ガス・鉄道などは、はじめ源右衛門の財を投じて造られたそうです。

これだけ財産を持っていると、当然権力は凄まじいもので、今日『斜陽館』と呼ばれる邸宅を建築する時には、役場や病院、銀行や警察署などを邸宅の近くに配置させて、さながら城下町のような様子だったといいます。

太平洋戦争後、GHQが執った農地開放政策の煽りをモロに喰らい、津島家はその財産の大半を失ってしまいますが、政治家一族としては脈々と続いており、今日でも国会議員を輩出しています。

津島家邸宅、現在『斜陽館』と呼ばれる建物は、太宰治が誕生する2年前、1907年に建てられました。
敷地面積2255.55㎡、延床面積1302.48㎡、総工費は4万円(現在の8億円に相当)と、大変豪奢な屋敷です。

レンガの塀で囲まれて、まるで要塞のようです。
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間取り図
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玄関から屋敷に入ると、目の前には広い土間(タタキ)が。
屋敷の奥までずっと続いています。
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入り口左手には、和風の座敷が6間続いています。
とにかくとんでもなく広いです。

座敷の奥には、金融業の店舗に使われていたカウンターがあります。
ここで帳場と小作人との話し合いが行われたそうです。
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中庭は今でも綺麗に手入れされています。
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『斜陽館』は、梁や柱、窓枠や床板に至るまで、「ヒバ(青森ひば、ヒノキの一種アスナロ)」という木材が使われています。
この「ヒバ」という木材、当時は大変な高級品で、この地方を潤わせた産品の一つでもあります。
このヒバが財産をもたらしたため、「金になる木」金木村と言うようになったとか。
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太宰が使っていた外套です。
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『疎開の家』と同じく、和洋折衷で造られています。
和洋折衷といっても、和風の部分と洋風部分ははっきり分けられています。
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家中のふすまには、幽玄趣味のものから金箔張りの豪華なものまで、様々な襖絵が描かれています。
欄間の透かし彫り・格子なども大変凝っています。
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屋根の骨組み
斜陽館は、和風小屋組ではなく、トラス構造(三角形を組み合わせることで剛性を高めた構造)を取る洋風の小屋組で造られています。
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座敷の奥には、炊事場の跡があります。
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煙突の跡
余談ですが、『斜陽館』の土間は、建築当初からモルタルを使用していたそうです。
(当時の土間は、土を叩き固めて造るのが普通でした)
また、そのモルタルの下にレンガを敷くことで、耐久性を上げていたそうです。
斜陽館の先進性が伺えます。
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館内最奥の土蔵も、展示室になっています。
たしか昭和前期~中期の文学について解説されていた気がしますが、あまり覚えていません。

外から見たところ
大変立派な軒です。
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レンガ造りの高い塀、尖った鉄柵と、刑務所かなにかと見紛うような物々しさです。
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太宰治のポートレイト、一度はご覧になったことがあると思います。
小説や資料を読んで、太宰治がどういった生涯を送った人物かをご存じの方も多いと思います。
そういうものを思い出つつ、太宰がこの屋敷の中でどういう生活を送ったか、広い部屋に布団を敷いて寝ている様子や、長い廊下を通って便所へ行く様子、玄関で小作人のそばを通り過ぎる様子などをアレコレ想像してみると、より楽しいのではないかと思います。

残念ながら当時の私にはそんな余裕が無く、この刑務所みたいな屋敷を見て、ただなんとなく「気の毒だなあ」とだけ思いました。
是非もう一度、ゆっくりと行ってみたい場所です。


太宰治疎開の家

青森県五所川原市金木町朝日山317-9
津軽鉄道金木駅から徒歩5分

太宰治記念館『斜陽館』

青森県五所川原市金木町朝日山412-1
津軽鉄道金木駅から徒歩約8分


本当は斜陽館で1日過ごすつもりだったのですが、存外に人の入りが多く、だんだん気分が悪くなってきました。
ちょうどタバコが切れたので、タバコ屋さん探しがてら金木の町をぶらつきます。

<続く>